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美女木の由来

掲載日:2014年9月10日更新

[美女木]という地名の由来

私たちの学校[美女木小学校]は、所在地である[美女木]からその校名が付けられたものと考えられます。ところで、[美女木]という、ちょっと珍しい地名には、どのような由来があるのでしょう。このことについては、幕末、文化・文政の頃(1800年代初め)に書かれた『新編武蔵風土記稿』の中に次のような記事が見られます。

古ヘ京師ヨリ故アリテ美麗ノ官女数人、当所ニ來リ居リシコトアリ、其頃近村ノモノ当村ヲサシテ美女來トノミ呼シニヨリ、イツトナク村名ノ如クナリユキテ其古名ヲハ失ヒタリト云、イトオホツカナキ説ナレト暫ク傅ヘノマヽヲ記シオケリ、來ヲ木トセシハ素ヨリ仮借セシノミニテ其意ニ於テ替ラサレハ、イツシカカク書キシモノナルヘシ

(『「新編武蔵風土記稿」巻一百四十一 足立郡之七 戸田領 美女木村』)

昔、京都から美女が来て住んだから[美女来]と呼ばれるようになった。いつしか、[来]を[木]と替えて書くようになった。(意訳)

いつ頃から[美女木]と呼ばれたのか

[美女木]という地名が、いつ頃からそう呼ばれたのかは詳らかではありませんが、[美女木]の名が文献上に登場するのは、室町時代のことです。このことについては、中村徳吉著『戸田の地名』の中で、次のように紹介されています。

美女木の地名がいつ頃できたかは判らないが、記録の上では鶴岡事書日記 應永五年(1398年)9月10日の記事、府中へ注進百姓交名の中に、「美女木=五郎次郎入道」とあるのが初見である。

 (中村徳吉著 とだ文庫『戸田の地名』1995年3月30日 戸田市発行)

『鶴岡事書日記』が書かれた「應永五年(1398年)9月10日」には、既に[美女木]の地名は存在し、「京都から美女が来て住んだから[美女来]と呼ばれるようになった」という、地名の由来に係る伝承も定着していたものと考えられます。  いずれにせよ、美女木を故郷とする人々は、[美女木]の地名に誇りと自信を持ち、この伝承を大切に伝えてきました。地名の由来を探っていくと、そこに暮らす人々の思いや願いを感ぜずにはいられません。私たちは、こうした地域の人々の思いや願いを大切にし、次代を担う子どもたちの教育にあたりたいと存じます。

参考文献

  1. 『新編武蔵風土記稿』
  2. 『戸田市史 民俗編』1983年3月15日 戸田市発行
  3. 中村 徳吉 著 とだ文庫『戸田の地名』1995年3月30日 戸田市発行

なお、この項をまとめるにあたり、戸田市立郷土博物館の御協力をいただきました。付して御礼申し上げます。

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